pkmnsp 二次創作ブログ / CP雑食
リクエスト「サカシル親子救済小説」
もう何年も前のこと、まだ俺がよくゴールドのことを知らなかった頃に、あいつの屋敷に滞在したことがあった。一月か二月、もしかしたら三月もの間。よく憶えていない。ただ、庭先の若葉がまだ青々と瑞々しいころだったから、きっと春から夏にかけてのことだったのだと思う。ただ、初めて訪れたときが、あいつの家での滞在最長記録だ。それだけは断言できる。
初めてあいつの家で過ごした日々は希薄だ。ずいぶん長い期間を過ごしていた気はするのに、いざ思い出そうとしてみるとほんの僅かなことしか記憶にない。時機がわるかったのかもしれない。何せ仮面の男が死んだと思っていた矢先だ。記憶も思考も、大体においてぼんやりしていた。だがある日突然、目が開いたようになった。今まで見えなかったものが見えるようになった。それでようやく、いろいろなことを考えられるようになった。主に自分に関するいろいろなこと、自分のためだけのいろいろなことを。俺は家の灯を見ながら暗がりに眠ることの意味を見つけた。ねえさんの孤独の意味を見つけた。それから、あいつが俺を家から追い出そうとしない意味も見つけた。だから、あいつの家に必要以上の滞在をしないことを決めた。それから、家と聞くたびに、ゴールドの家のイメージが頭の中にあらわれるようになった。触れない、届かない。それなのに、そこに在るものだと信じている。幽霊みたいだ。俺にとっては失われたものであることにかわりないから、ぴったりかもしれない。思考がふと、家という言葉の先に触れるたびに、幽霊の存在を感じるようになっていた。決して少なくない頻度だったのに、ここ数日というもの、あんなにこびり付いていた家という意味が頭の中からさっぱり消えていたことに気付いた。
今朝方、ゴールドから連絡が来ているのに気付いた。昨日の昼十二時、内容は、"お前今日うちに来ねえの"。そういえばちょうど昨日、あいつの家に行く約束をしていたんだった、タウリナーΩの再放送(しかも、六時間スペシャル)のために。一気に現実に引き戻された気分で、何と返事をするべきか持て余して、保留のつもりで放っておこうと決めた矢先にポケギアが鳴った。少しの逡巡のあと、躊躇いつつも通話ボタンを押した。ら、第一声は怒号だった。
『おいテメー来るっつっといて来ねーとはどーゆー了見だ!!』
スピーカーがびりびりいうくらいの音量に思わずポケギアを遠ざける。あいかわらずの喧しさにむっとしたが、どんな事情であれそもそも俺が約束を忘れていたのがいけなかったのだと思い直して、すまない忘れていた、と謝罪をしたのだったが、数秒の沈黙の後に、忘れたで済むかバカ! と再度怒られた。その頭ごなしな調子に理不尽さを感じながらも、あいつの文句を聞き流し、そろそろいいかげん切ってやろうかと思いはじめた矢先に、『まア前置きはこのくらいにして』とあいつが溜息といっしょに吐き出して、いつもの調子で言った。
『母さんが昨日の再放送録画したんだよ。今日、これからウチ来ねえ?』
それがあんまりにも聞き慣れた響きだったので、条件反射的に「行く」と言いかけて、慌てて口を噤んだ。シルバー? けげんな声がスピーカー越しに聞こえる、ええと。
「……すぐ、かけなおす」
やっとのことでそれだけ言って通話を切った。寝室からキッチンのほうを仰ぎ見る。パンの焼ける匂いと、コーヒーの香りが漂ってきていた。もう、驚かない。
こうして暮らしはじめてから、どのくらい経ったんだろう。自分の仕事をこなしていた人やポケモンがスピアーの群れにに追い回される代わりに、俺たちは必要なぶんだけの白樺を手に入れた。白樺はその翌日から、屋根の上で乾燥させている。ガスの準備もして、後は足りないと思う家具をつくったり、家の傷んだところの補修なんかをしていた。その材料は、街のホームセンターで買った。それから、ポケモン達を森で遊ばせたりした。誰も俺に問うたりはしなかった。俺もポケモン達も、この暮らしに慣れつつあった。日々の中で、忘れていたのは、時間の感覚だけじゃなかった。ゴールドのことやねえさんのこと。図鑑所有者のことも、忘れていた。さらに悪いことには、俺はただ忘れていたんじゃない。恐ろしいことは、無邪気に忘れていたってこと。
いつも通り向かい合って座り、俺は表面でバターの溶けるトーストの耳を齧りながら、いつ切り出したものかと迷っていた。そのまま咀嚼しながら考え込んでいたら、ふいに笑われて、行ってきたらいいんじゃないかって言われてびっくりした。聞いてたの、と思わず尋ねたら、聞こえたんだ、とかえってくる。それから、なにも監禁してるわけじゃないんだからって更に笑われた。朝食を食べ終わってから、俺はいったん断って寝室に戻って、ゴールドに折り返しの電話をかけた。遅いと文句を言われたが、これから行く旨告げると、やや間があって、わかった、とそれだけ言われた。声色からは毒が抜けて、とげとげしたところがなくなっていて、あいつじゃないみたいに思った。
「あの金目のトレーナーの家か。名前は……」
「ゴールド」
「世話になっているようだな」
「……ん、まあ」
会話しながら上着を着込む。荷物らしい荷物もないから、そのまま出ようとする。
「どういうやつなんだ」
言われて、咄嗟に答えられなかった。ゴールドは、ゴールドだ。それ以上を考えたことは、ない。けど、答えなければいけない。ゴールドのことをちゃんと伝える言葉を必要とするときが来たのだと、そんなふうに感じた。もうこんなふうに誰かに訊かれることがあるのだから。ゴールドは、俺のいないところで、街の人や家の人やポケモン達に、俺のことをどんなふうに言っていたのだろう。俺があの家にはじめて訪れたときよりもずっと前から、自分の知る何かを誰かに伝える言葉を必要としてきたであろうあいつは。
あいつは”特別"だ。ねえさんと同じ、それだけは分かる、でも、正の感情と同じくらい、負の感情も向けていた相手でもある。こればっかりは、好き、なんて言葉では言い表せない。嫌いなわけでもない。そういう物差しで測るべき相手でもない。だからといって共感できるような存在であるはずもない。最初は言葉すらうまく通じ合わない、今だってそれほど大差はない。ただ言えることがあれば、”特別”で。
俺はそんなようなことを、しどろもどろになりながら喋った。言葉にすることの難しさを知った。こんなこと投げ出して、いっそもう押し黙ってしまおうかとすら思いながら。だが結果として俺はしゃべりつづけた。どうしてだろう、けど、ようやく喋り終わって、思いがけず、最後に転がり落ちた言葉。あいつは——
「…………友達なんだ」
ようやく胸の支えが取れたような気がして、肩で息をしながら見上げた。笑っていた。
「そうか」
それだけだった。俺は黙って頷いた。だけど嬉しかった。「そうか」って言われて嬉しかった。そうして頷けるってこと、嬉しかった。
暗くなるまえに帰ってこい、と言われた、変な感覚を持て余しながらゴールドの屋敷に到着した。呼び出しベルを鳴らして待つあいだ、見渡した屋敷の庭先は一面鮮やかな緑色だった。このあいだは、桜の蕾が見えていた。それで、最後に訪れたのは春のはじめだったかと思い至った。まだ蝉の声は聞こえない。だけど、もう初夏か。そんなことを考えていたら、ゴールドに出迎えられた。ゴールドは最初びっくりしたような顔をしたが、何も言わないで、入れよっていつもみたく言った。こいつはたまに、こうして含ませるみたいなやり方をする。まどろっこしいことをしなくても、言いたい事があるなら言えばいいのに、と思ったことも一度や二度ではない。でも、たぶんこいつなりの理由があるんだろうと思う。
通された居間ではポケモン達の盛大な出迎えが待っていて、揉みくちゃにされた。何事かと思って目を白黒させていたら、ゴールドが聞こえよがしに「こいつが来るの楽しみにしてたんだもんなあ」と大きな声で言った。それからポケモン達に急かされて、みんなでタウリナーΩを観た。録画しておいてくれた彼らには悪いと思いつつも、あまり鑑賞に身が入らなかった。集中しようとして視界の中をテレビ画面で埋め尽くしてみても、違うことばかりが頭の中に浮かんで、考えが逸れる。気がついたら、場面がすっかり変わっている。タウリナーΩに関しては全話すっかり見尽くして、どの話も冒頭からすっかり覚えているから、場面が飛んでいるからといってどうということもないのだが、二時間見て、休憩を差し挟むころには疲れていた。いつもとはすこし違う意味で。
強きを挫き弱きを助く。罪もない人々を苦しめる悪の組織を倒すために立ち上がる主人公達。ただ自分の仕事をこなしていただけの人々を、スピアーで追い回したあの男は、この番組でいえば確実に悪側だ。誰かのものとはどういう意味なんだ? あの男は、所有を証文一枚のことだと切り捨てた。あの林はだれのものなんだ。そもそも何かが誰かのものであるという状態は成り立つのか。それが証文によって成り立つだと見ればあの行為は悪になる、しかし証文によって成り立たないという仮定の上なら或は。いやしかしそれ以前に、罪も無い一般人に害を成しているのだからそれは——しかし、罪が無いなんて誰に分かる。逆に、罪さえあれば罰してもよいのか。罪を作れば罰するという行いは正当となるのだろうか。分からない。折角のタウリナーΩなのに、そんなことばかり考えている。
スペシャルを観終わってからは、ポケモン達に誘われて外へ遊びに出た。居間から廊下に出て、開け放されたいくつかの扉を通り過ぎて玄関、そして庭へ。久々に見たゴールドの家は、前に見たときとはまた違った感じがする。ポケモン達の声もゴールドとの会話も、その母親の雰囲気も。俺にとってここは唯一の場所で、この景色は唯一のもので、空気、声、会話、どれをとっても、”家”のすべてだった。けれどいまは、少し離れたところから眺めているような感じがした。ゴールドの家の騒がしさや、ポケモン達のあたたかさとは別に、銅のポットや白樺の匂いを、もう俺は知っている。ゴールドの屋敷のベッドのあたたかさと、あの家の粗末なベッドのさむさは同種のものだった。この賑やかさとあの静けさも、等しく大切に扱うことのできるものだと、そんなふうに感じている。
時を過ごすにつれて、俺の家はやはりここではないのだという確信が、しずかに降りてきた。それは今まで、自分自身に向かって必死に言い聞かせるようにしてきたのとは違う、確固たる事実として、俺の中にその存在を主張した。この場所のあたたかさは決して嫌いではない。けれど肌に馴染むと思うのは、騒がしさよりは静けさ。良き一市民としての安穏よりも、人間として雨風に晒されているということ。確信が次第に強まっていく感覚は心地よく、同時に、俺の中から家の幽霊が消えて行くのを感じていた。
ようやくポケモン達から解放され、再び掴まるまでの僅かな間に、ゴールドにのらりくらりとした調子で人気のない裏庭に連れ出された。
「……なんかあったのか?」
何かと思った矢先、神妙な顔をして尋ねたゴールドに、何もない、と答えた。嘘付け、と苦い顔をされた。
「分かりやすいんだよ。痩せたみてーだし、テレビ見てても上の空だし、そもそも六時間スペシャルの日を忘れる時点でおかしいっつうの……まあ無事みてーだから良いけどよ。ウチのモン揃って心配してたんだぜ」
溜息と一緒に自棄のように吐き出された言葉は、怒るのに疲れたといった様子。あのゴールドが、誤摩化しも取り繕いも茶化しもしないほど疲れている。それで、俺はようやくスピーカー越しの怒号の意味を察して、罪悪感のようなものを感じた。
「…………悪かった」
お前にも、お前の家族にも。もう一度謝った。そうしたら、ゴールドはすこしばつの悪そうな顔をして言った。
「……いいって。おめーが何も言わねえのは今にはじまったことじゃねえしな」
「いつもそんなことを考えていたのか?」
「悪いかよ」
「……いや」
伝える言葉が、また必要になったのを感じた。けれど、まだ早い。もう少し時間が欲しい。考えなければならないことがまだ残っているんだ。
ゴールドにはそのうち、話すかもしれない。ゴールドが俺にしたのと同じように、俺も、俺のことを話すときが来るのかもしれない。いまは言葉も出てこないけど。過去に残してきた沈黙を、俺の言葉で埋めるときが来るのかもしれない。