pkmnsp 二次創作ブログ / CP雑食
リクエスト「サカシル親子救済小説」
陽射しを浴びて銅のポットがきらきらしていた。表面のへこみに沿って、桃色から赤銅色、赤銅色から焦茶色へと映り変わる光の色が、風が吹くたびにざわめく枝葉に変化する外光に合わせて揺らいでいる。鉄製の三脚の上、アルコールバーナーに炙られて、細く一定の太さを保ちながら緩やかにS字を描く注ぎ口。湯気が立ちのぼり、蓋がかたかた音を立てて揺れる。「布巾を買うのを忘れたな」と言いながら、銅の取手は格子模様のハンカチで包まれて傾けられ、斜の注ぎ口は細く湯を流し落とし挽いた豆の上に円を描く。豆に浸透しフィルターに磨かれた抽出液がガラスのサーバーに落ちる。熱く香り立つそれは生きている。眺めていたら、「じぶんのカップを持ってこい」と言われて、すぐには何のことだか分からず黙っていた。分からないから一緒に行ってやろうかなんて揶揄われて、ようやく大丈夫だって言った。俺は寝室に戻って、昨日の大荷物の中から食器を買った店の紙袋を探し出し、その中から両の掌大の新聞紙のかたまりを取り出した。そういえば食器なんて買ったのは初めてで、包みをほどく手つきもしぜん慎重になって、妙に時間を食った。真っ白な陶器。両手に持ったまま指でなぞるとひんやり冷たい。そのままキッチンに持って行ったら、マグカップはガラスのサーバーから注がれる濃褐色の液体で満たされた。「熱いから気をつけなさい」と言った声の静かな丸さに、思わず顔を上げていた。こんなふうな物の言い方をするのだったか。この人は。カップはすっかり熱くて、取っ手を掴んで口をつけた。熱くて飲めそうにないと思いながら、マグの向こうを窺ったら、さもうまそうに飲んでいて、俺も啜るようにしてやっと舌を濡らした。ほんの僅かに口腔にふくんだだけだったのに、豊かな香りが鼻を掠め、白い湯気が喉を湿らせる。手にしたカップは驚くほど重く、淹れたてに相応しく熱過ぎるくらい。その熱さは香ばしいコーヒーの液といっしょに体内に染み込んで、心臓を温めた。
底の深い器、満たされるがゆえにあるもの。これは俺のもの、俺の器。満たされることができるためにあるもの。いきもののように光の揺れる銅のポットから注がれたものが、マグカップを満たしているのと同じように。静けさと香り。空気とざわめき。光と影と、声の円みと。呼吸、鼓動。巡る血と心の色。空と夜と、温度。すべて、俺の器を満たす。
たくさん眠ったせいか、気分はとても落ち着いていた。結局、真意は聞き出せなかったけれど、それならそれでいいと思える。目の前の男が何を語ろうと何を語るまいと、結局この男がなにものであるのかを見極めるのは俺だ。目で見て、耳で聞いて、触れてみればいい。悪の首領としての、あるいは父親としての。この男を知りたいと思う。いずれ分かるだろう、”お前がそんな調子では話せないこと”も。
「今日は、お前のベッドの準備をしよう」
俺のベッド、と胸の中だけでくりかえしてみると、その響きだけで心臓がつんとする。それはほかのものとは異色で、すべてにおいて異様で、不気味で、どこかしらこわいような気がした。脳髄を走る電気信号の残り滓が、幽霊みたいに響いている、”俺の”とはいったいどういうことなんだろう? それで気付いた、俺が寝かされていたあのベッド。あれが俺のものでなかったとするなら、その以前にはきっと誰かが寝ていたはずだ。そう思いつつも、すぐには聞けなかった。あまり頭の中がまとまっていなくて、言葉が出てこなかった。だから俺は何も聞かずに頷いた。数枚のビスケットを胃に収めたあと、すぐに出発した。
木を採りに行くための道のりは、途中までは昨日と同じだったけれど、不意に違う道に入った。それで違う道なのかと聞いたら、「よく気付いたな」と言って楽しそうに笑っていた。今日は初めから鳥ポケモンでいけば早いのにと思っていたけれど口には出さなかった。そのまま暫く歩いていると、昨日と同じように、ある一線を超えた時点で樹々が茂らせる葉の色が緑から橙に変わる。昨日は何も言わなかったのに、今日は口を開いて、「シロガネ山の樹海に入った」と言った。すこし遅れて、どうしてと聞いてみたら、こう答えた。
「常磐の森だからな」
長い道程だった。山の中腹よりやや下のほうをぐるりとまわるようにして、登山コースの反対側に出て、それから山を下った。更に暫く行くと、森の緑の中では非情に目立つ、赤や黄色の機械や、トラックが伐採と運搬に励んでいた。無数の切り株を後に残して、トラックは二台に詰めるだけの丸太を積んで山を下りて行く。働いているのは作業服を着た人間と、怪力をもつポケモン達だ。モンスターボールからスピアーがあらわれて、何かを指示されたのを視界の箸でとらえたが、俺は赤や黄色の機械や、どこからか湧いてきてどこかへと去っていくトラックを眺めていてあまり気にとめることをしなかった。丸太を積んだやつと何も積んでいないやつ。スピアーは俺たちが歩いてきた道を戻っていって姿を消した。「ここで暫く待機だ」と言われた。それが何を意図されてのことだったのか、わかったのは間もなく十五分後のことだった。
最初の異変は些細なことだった。俺は、目下の伐採現場の端になにか黄色いものが過ったような気がした。森の黄色や赤は好きじゃない。警告色だ。だから思わず眉をしかめた、その一瞬の間に、その黄色が風船のように膨れ上がった。咄嗟に、何がどうしたのかまるっきり分からなくなった。けれど、よく見て、その黄色はスピアーの群れだと知ったとたん、目下で何が起こっているのかがあまりに分かりすぎた。
耳の中を劈くけたたましい羽音とともに、集団でターゲットに猛毒の針を向ける。警戒すべきは足先に備わった一対の針よりも、腹部の後端についた針の毒だ。その針を突き刺した相手を死に至らしめることができなかった場合、あまりにも無防備な態勢を晒すことになる。彼らはまるで機械のよう正確さと躊躇いのなさをもって向かっていく。スピアーの群れは波のように伐採地に押し寄せた。前足の針を突き出すものもあれば、例の後端の針で突っ込んで行くものもいた。仕事を手伝っていたポケモン達の中には倒れるものもあった。ゴールドが持っていたダーツの矢のを思い出した。尾羽のついた矢は指先を離れると、僅かな弧を描いて的に突き立ち、受け止められなかった衝撃に素早く細動して、そして静かになる。遠目から見て、後端の針を突き出し、目にも留まらぬ早さで飛び出して行くスピアーは、尾羽が透明で黄色と黒色の縞模様の、おそろしく綺麗なダーツの矢だった。
「……何を……」
ようやく我に返っても、それを声にするだけで精一杯だった。伐採地ではまだ、人間と彼らのポケモン達の阿鼻叫喚が続いている。頭がくらくらした。俺がそのときに思い出していたのは何故か、昨日あたたかい空気を吐き出していたカーエアコンのことだった。一対の目が俺をまじめな表情で見返した。眠りに落ちる寸前に聞こえてきたラジオのコメンテーターが言っていたことを思い出した。いやあやはり……美男美女は……絵になりますね……皆さんにお見せできないのが……残念です。
「木を採りに行くと言っただろう」
言いながら、伐採地に向かい、木や岩でごつごつした坂を下り始める。目下の襲撃は収束しつつあった。作業服を着ていた人々はポケモンともども逃げだしはじめていたが、スピアー達は最後の一人も残すまいと執拗に伐採地を探しまわっている。自分でも意外だったが、捨て台詞を吐いてここから立ち去れるほどに逆上してはいなかった。むしろ冷静なほうだと思う。ただ腹は立てていた。驚きのあまりその場から動けず、ただ見守っていただけの自分の体たらくに。俺は後に続いた。ゴールドやクリスだったらここで断罪しようとするだけの憤りを感じただろう、と思いながら。無論俺とてあの行為を容認しているつもりはないが……、二人ほどの憤りを感じることができない事実に、失望した。それでも流石に、何か苦言をこぼさないというわけにはいられなかった。
「他人のものを盗るのは、駄目だ」
他人のもの、と前を歩く後ろ姿が呟いた。
「お前にとって、誰かのものというのはどういう意味なんだ?」
それが特定の個人のものだ、という証文に書かれたとおりというわけか。この土地はだれだれのものだと紙に書いてあるから、その通りとでもいうわけか。
声の調子は意外にも穏やかで、とがったところが無かった。けれどそれは確かに俺の痛い所を突いていて、何も言えずに黙って歩いていたら、伐採地に着いていた。切り倒されて無造作に転がされていた、積み上げられる直前の丸太のひとつをさして、これにしようと呟きながら、ふいにつづけた。
「分からないのなら、お前の言葉も誰かからの借り物というわけだな」
そのときにグリーン先輩の顔が浮かんで、俺は黙っていた。辺りを見回してみて、ふいに死体がひとつもないことに気がついて、俺は言った。
「殺さなかったんだね」
丸太を運び出すためのポケモン達を出しながら、答えた。
「いろいろと面倒だからな」
期待してたわけじゃなかったから、別によかった。俺は何も言わずに、その作業を見ていた。帰りはポケモン達と木材を運ぶのを手伝った。リングマもマニューラも、何も気にしていないようだった。帰り道の途中は誰にも会いそうにないと思った。登山道から大きく離れたルートだからだ。けれど目論みに反して俺たちは一人の老嬢とすれ違った。けれど彼女はにこにこして、木こりごっこかしらと言っただけだった。俺がどうするだろうと成り行きを見守っていたが、「木こりですよ」と事も無げに言った。冗談ととったか、老嬢はにこやかに会釈をして通り過ぎた。
散歩というにはハードな行程には違いなかった。適宜休憩を挟みながらとはいえ、まる半日以上歩き続けることになった。買ったほうがよかったんじゃないか、と俺は仄めかした。
「最初だからだ」
何が最初なのだろう、と思った。俺の思考を置き去りにしたまま、樹の切り方も運び方も分かっただろう。と言う。面食らって、分かった、でもそれが何になるんだと俺は反論した。小さく笑われた。それ以上何も言わなかった。次からは買うさ。数秒おくれてそう付け足された。
家に戻ってから、またあの銅のポットでコーヒーがいれられた。テーブルごし向かい合って、俺はまた自分のカップでコーヒーを飲んだ。
「そのカップはお前のものか?」
すぐには答えられなかった。俺のポケットを指し示して、言った。そのポケットに入っているものはお前のものか?
ポケットに手を差し込むと、やわらかい布の感触がして、ハンカチが入っていたのだと思い出した。俺のものだ、と思ったので頷きながら、卓のうえに出した。するとゆっくりと伸びてきた手が、それに触れながらしみじみとつぶやいた。
「使い込んでいるにしては、傷んでいないな」
石鹸で洗っていなかっただろうと言い当てられて、頷いた。あまり意識したことはなかったが、何かと入り用なときは使っていたから、血を拭ったあとや、泥を拭いたあとなんかは残っているだろうと思いながら。
「……小さなお前を連れて一度だけ、旅行に行ったことがある。旅行先である露店を通り過ぎようとしたとき、おまえがこのハンカチを掴んで口に入れてしまったので購入した品だ。それまでお前に持たせたものは悉く無くなったが、このハンカチだけは気に入ったらしくてなかなか無くさなかった。しかし、まさかいまだに無くさずにいたとはな」
俺が、家族といっしょに暮らしていた頃の話。まさか聞くとは思わなくて、驚いて、言葉を失っていたら、また笑われた。ただ、こんどは驚くほどやさしく、ハンカチを俺に差し出しながら、言った。
「おまえのものだ」
受け取ったハンカチを広げてみると、まっしろな布地は、うっすらとした血のあとや、部分的な変色が見えた。ここしばらく横着して放っておいたから、くしゃくしゃになっている。地図みたいだ。最初、俺はこのハンカチを掴んで口にいれて、それで、お父さんがこのハンカチを買った。それから攫われて、いろいろなことがあって、傷ついたとき、汚れたとき、疲れたとき、ねえさんが泣いたとき。いろいろに使った。その全部が刻まれてる。俺のこれまでの生活がここにある。これは俺のもの。俺のためだけに用意されて、俺のためだけに触ったり使われたりして、今も俺のためだけに存在しつづけるもの。
これは、おれのもの。