シルバーが風邪をひきました。
その日、図鑑の定期検査にシルバーが研究所を訪れたのは、日が暮れてしばらくしてのことだった。最近妙に忙しいらしい彼はあちこちを飛び回っているらしく、夜でもいいだろうかと彼のほうから申し出があったのだ。シルバーから図鑑を受け取りながら、クリスはその様子にどこかしら違和感があることが気になっていた。どこが、と具体的に指し示せるわけではないが、とにかく漠然と、いつもと違うと感じる。まさかと思いつつも体温計を差し出してみると、一瞬彼の身体が強ばったのをクリスは見逃さなかった。
「あなた……体調が、悪いのね?」
「……大したことはない」
彼が目を逸らした隙に、腕を捕まえて掌を額に当てると、彼はふらついた。ぞっとするくらい、熱い。頭をよぎったのは、つい先日彼と交わした会話だった。こともなげに、風邪をひいたときは秘密基地で寝て治す、という彼の言葉。看病してくれる人はおろか、寝具すらない秘密基地に病人を帰すなんて、クリスには考えられない暴挙だ。クリスは研究所の仮眠室のベッドに、有無を言わせずシルバーを押し込んだ。流石に図鑑をとられているからだろう、彼は明らかに腰が引けていたものの、逃げようとはしなかった。案の定、顔に出ていなかっただけで相当辛かったらしい。ベッドに押し込められるなり彼は眠ってしまった。ほとんど意識を手放したに等しい早さだったことに、クリスは呆れる。
幸いにして、明日は休日だ。この研究所も明日明後日は人がいない。博士に連絡して、事情を話して、休日の間だけでも研究所を貸してもらおう。クリスの自宅にシルバーを入れてもいいのだが、既に足元もおぼつかない有様の彼を移動させることは控えたかった。その日は、クリスも同じように研究所に泊まった。
翌日、クリスが目を覚ましたとき、彼はまだ眠っていたので、その間に24時間営業のショップで必要なものを買ってきて、お粥を作った。こないだゴールドが作ってくれたお粥、すごく美味しかったのよね、とその味を思い出しながら鍋に向かう。風邪をひいていた間の記憶は曖昧だったが、何故かその味だけは舌に残っていた。作り終えてから仮眠室に戻ると、シルバーはまだ眠っていた。そういえば今朝、熱冷ましのシートを取り替えることを忘れていたことに気付いて、新しいものに交換している最中、つめたかったのだろう、シルバーが目を覚ました。
「ごめんなさい、起こしちゃったわね。気分はどう?」
「……良くはない」
「そうでしょうね。無理するからこじらせるのよ」
ぐうの音も出ないようで、シルバーは黙った。これだけ眠って良くならないのは、重篤に陥っていた証だ。
「気持ちは悪くないのよね? お粥、食べられる?」
「…………食べたくない……」
重症だ。
だが、クリスとて引き下がりたくはなかった。シルバーのことだ、忙しさにかまけてろくすっぽ食事を摂っていなかったに違いない。ここで栄養を補給させずにして、どこで補給させろというのか。それを指摘すると、再度シルバーは黙ったあと、渋々頷いた。お粥を準備しながらクリスは、風邪をここまで悪化させたシルバーに怒りを感じつつ、駄々をこねるという彼の非常にレアな一面に遭遇したような気もして、苦笑する。
シルバーはゆっくりとお粥を口にした。その横顔がなんだか酷く安らいでいるように見えるのは、気のせいだろうか、とクリスは思う。
仲間であり、ライバルだ。弱みを見せたくない、というのも分からないでもないけれど、シルバーは普段、周囲に人がいないから。クリスやゴールドと違って、無理しすぎだと止めてくれる人もいなければ、いざ倒れたときに看病してくれるような家族もいない。あたたかい布団のある家だって、持っていない。だから、心配なのだ。
「シルバー、具合悪くなったら、今度からちゃんと連絡して」
「……クリス。気持ちは有り難いが、俺のことで世話をかける訳には」
「あなたのことじゃなくて、わたしが心配なのよ。だからこれは、お願い。あんまり、心配させないでね」
小さな声で、気をつける、と返事が返ってきたので、クリスは満足した。とにかく今は、彼の風邪を治してしまわなければならない。あとは薬ね、と考えて、クリスはシルバーを残して研究所を出た。もちろん、抜け目無くムーぴょんを見張りにおいていくのも忘れなかった。