pkmnsp 二次創作ブログ / CP雑食
リクエスト「サカシル親子救済小説」
もうちょっと!
もうちょっと!
七日目の夜が来た。俺はまだ帰らずに、トキワの森の端のほうでじっと座って考え込んでいる。
一週間で戻るから、そんなことを言っておきながら、俺は本当に帰るつもりがあったのだろうかと今更になってから思うんだ。自分の言葉を探したかったから、お父さんに伝えたかったからなんてのは建前に過ぎず、本当は、自分でも分かっていたんじゃないだろうか。俺は帰るのか、それとも帰らないのか、それだけのことを選ぶ余地を自分に与えるために、俺は旅に出たのじゃないだろうか。ノートに書き留めた言葉の羅列を見返せば見返すほど、そこは虚構で埋まっている。過ぎ去ってしまった日々のうちに、何一つ本当の感情を見つけ出すなんてことはできない、そうだとしても、俺の噺を誰かに伝えることの意味があるとでも言うのだろうか。俺は帰らないかもしれないと思いながら旅に出たんだという思いが強くなれば強くなるほどに、集めた言葉は薄っぺらい、中身のない虚しいもののように感じられた。一方で、罫線の中に書き留めた言葉を綴じた、買って一週間しか経っていないにも関わらず、ぞんざいに扱ったせいで端々の折れ曲がってしまったこのノートを、ひといきに捨ててしまうにも躊躇われるんだ。
もし今日中に俺が帰らなかったら、あいつはまたいなくなる。そんな気がした。ただここ暫くの日々を残し、そして俺は、あの家を燃やすだろう。火をつけたら、すっかり燃え尽きてしまうまで、或は森火事だと近辺の住民があわてて駆けつけるまで、きっとその場で見ているんだろう。家というものは全く、なんてものだろう! 痺れるような甘い憧れとともに、いざその中に閉じ込められてみれば、それはいっぽうで重苦しく、思考に、記憶に絡み付く。それは過去に似ている。母の手紙の一節、”いまこの手紙を書いている私、ただひとりの私がこれほどまでに、苦しいほどにあなたを愛しているということを”、その一節が、手足をからめとり、身動きできなくし、重くのしかかってくるのを、感じずにはいられなかった。その言葉、その瞬間の感情が真であることには違いないけれども、果たして彼女はもうこの世にいない。言葉だけが幽霊のように、過去からの交信を試みてくるようだ。俺はふとあの男とのある会話を思いだした。俺が母のものとわかる写真や持ち物がないことを指摘すると、あいつはこう言った、「おれも弱い人間だからな」「過去と現在を取り違えたくない。あいつはもういない」。そうだ、何にしたって俺の家庭はもう失われている、そんなものを今更になって求めるから、おかしくなるんだ。
本当であったならあの家で過ごすことのできた日々を取り戻そうなんて、そんなことは馬鹿げているだけでなく、勘定がすっかり狂ってしまうことになる。なぜなら俺の日々は欠落してなんかいない、人がどれだけそれを忌まわしげに、悲しげに見ていたとしても、それは欠落なんかじゃない。俺の日々はいままでもこれからも、常に一点の曇りもなく完成されているんだ。俺は、俺の日々を信じる。過去の俺が選んだ道の果てでの、現在の俺の選択を信じる。それだけのことだ。
そんなふうにすっかり決めてしまって、俺はどこかさっぱりとした快い気持で眠りについた。家には帰らなかった。明日になったらまた日常に戻ろう、あの男を倒すための日々の中に。
次の朝はやくに目を覚まして、支度を済ませて立ち上がり、軽く土埃をはらって森を出ようとしたときに、不意に耳の奥で声がした。
(さあ、こんな噺はここまでよ)
鼻にかかったようにあまったるい女の声。そう、こんな馬鹿げた噺はここまで、これ以上続ける気なんてはなっからないさ。
(コーヒーとミートパイを御馳走するから、いまはお父さんのところへお帰り)
足が止まった。”いまは”、”お父さんのところへ”、”お帰り”。
どういうことだろう、俺はたった今、背を向けることを確信していたのに、どうして今更になってこんな言葉を思い出すんだろう。俺は殆ど躊躇うことなく、返しかけた踵をもとに戻して、森の奥へ向かって歩き出したんだ。
そのときの心持を言うならば、まるで夢遊病者のようなとでもいうのだろうか。我をわすれ、殆ど前後不覚になって、歩き続けた。小石や雑草や、ちいさな枝の散乱した森の途を、まっすぐに歩き続けた。すこしして肌寒くなり、それは汗をかいているせいだと分かり、それでようやく、歩く速さが増していることに気付いた。どんどん歩幅は大きくなり、足を前に出すのもはやくなっていく。やがて、横のほうから、豊かに茂った枝葉をくぐりぬけて、白っぽい太陽の光が差し込んできた。思わず見上げると、うすむらさきの明け方の空から、光がしんしんしんと降りて来る。次第に密度を増してくる光に、俺ははじめて焦りのようなものを感じた。そしてそれからは殆ど飛ぶように、森の途を駆け抜けていった。
家が見えてきた。俺は足音も立てず、低木越しにそうっと家を伺い見た。朝の陽射しに照らされて、白っぽく染まった木造の家は、最後に見たときよりもずっと真新しく、いきいきとしているようだった。あたりは嘘のように静かだった。全力で走ってきていたせいで、絶え間なくどくどくいっている心臓の音がなんだか気詰まりで、苦痛だった。あがった呼吸をできるだけ押し殺して、ぐらぐらする頭でその光景を見ていた。全身から汗が吹き出して、服の中はぐっしょりと濡れ、早くも冷たくなりはじめていたが、そんなことは殆ど気にならなかった。白樺の家と、小さな庭。鳥の囀り。長閑さのあまりに、息がつまりそうだ。
まだ呼吸もろくに整わないうちに、お芝居かなにかのようにゆっくり、家の扉が開いた。そこから、色の褪せた緑の、すこし情けないセーターを着たままのひとりの男が出てきて、玄関のポーチに腰を下ろした。そして、暫くぼんやりと空を見上げていた。俺の目はその姿に釘付けになって、暫く動けずにいた。そのままどのくらい経ったのかわからない。だけど不意に、男はゆっくり立ち上がって、再び家の中にもどろうとした、そのときに、叫んでいた。
「お父さん!!」
憶えているのは、振り返った男の、びっくりしたような間の抜けた表情だけ。わけもわからないまま、涙が滲んできた。喜びか悲しみかもわからないくらいくらいに気が昂っていた。お父さん、お父さん。お父さんお父さんお父さんお父さん!
やっと彼を見つけた、白く輝く家のポーチに。