エメラルドに偏ったイメージを抱きすぎている。
ありがとう、の気持ちを伝えることは難しい、とエメラルドはそう思う。
何かをしてもらったら、にっこり笑ってありがとうと言いましょうという月並みな教訓は、いつだって彼を憂鬱にさせた。所謂「いい人」だらけのこの世の中、そうした教訓を遵守する人々の溢れるせいで、みんな本当のありがとうを見失っているんじゃないか、と思う。本物と模造品のいりまじる世界では、全てが模造品なのじゃないかと疑ってかかるのも無理はない。
むつかしく考え過ぎなのよ、とクリスタルは苦笑いする。そうかもしれない、とエメラルドは思う。
けれどエメラルドは本当にうれしかったときにしか「ありがとう」を言われたくないし、言いたくもない。お愛想のご挨拶なんてくそくらえだ、とも思う。偽物だと疑っている相手に、これは本物だと信じさせるにはどうしたらいいのだろうか。
相変わらずありがとう、の気持ちを伝えることは難しい。とエメラルドは、目の前でびしょぬれになっているチンピラ——否、先輩を見て考える。エメラルドが川で溺れていると勘違いした挙げ句、川に飛び込んで自らびしょぬれになったうましか男。馬鹿ってことだ。
こちらはいい迷惑を被ったに過ぎないのに、なぜだろう。不思議と、ありがとう、と言いたい気持ちだった。いかにしてありがとう、と伝えるか。エメラルドは悶々とする。どうして、なぜ、嬉しかったのかという理由を明確にして、いや、結論を先に言ったほうがいいだろうか、それから理由を。
「おいお前これからどこ」
「ありがとう」
不意に先輩が話しかけて来たので、エメラルドは反射で何かを口走った。彼自身、何を喋ったのか記憶になく、きょとんとする。目の前のチンピラも目を丸くしていた。が、やがてチンピラが口端を上げて嬉しそうに笑った。
「どういたしまして」
その馬鹿面があんまりにも眩しかったので、エメラルドの気分も僅かに浮上した。
ありがとうって言うの、案外簡単なんだな、と彼はクリスタルの言っていたことが分かったような気がした。