pkmnsp 二次創作ブログ / CP雑食
一応 R-15
急に荒ぶって書きはじめてしまったもの
百合っぽいけど百合じゃないです
続く
急に荒ぶって書きはじめてしまったもの
百合っぽいけど百合じゃないです
続く
十月。ありがちなローズ・カラーのカーテンの隙間から、朝の白い光が瞼の表面をじんわりと温めた。瞼を明け、眩しさにおもわず目を細めた。遠く東の空が白み、逆光に黒々とした山のなだらかな縁が、燃えるように輝いている。昨夜チェックインしたばかりの室内はどこもかしこも清潔に整えられ、ナイトテーブルの上にだけはお酒の瓶が数本、くたびれ果てて残されている。寝乱れた白いシーツも飲みかけのグラスも、夜明け前の青さに沈んでいる。光が部屋を浸食していくに従って、冷ややかな夜気が退いていく。毛布よりも軽く、温もりよりもずっとわたしを守ってくれる、夜の衣。行かないでと手を伸ばそうとしたわたしをせせら笑って、揶揄うように指先に口付けを掠めながら。朝の光というものは、最初はどんなにか細く弱々しいように見えても、一度なにものかを晒しあげたが最後、片隅に追いやって、やがて見えなくしてしまう。星の光も、夜の帳も。わたしはずいぶん、そういうことについて考えを巡らせたものだった。そうして、わたしは郊外のホテルの一室で、その日最初に光に晒されたというわけだった。目覚めたばかりの太陽が拡散させる、細やかな破壊の粒子を肌に受けながら、わたしはふいに思い出して泣いた。彼とはじめて寝た夜を。
「おはよ……クリス?」
美しい声。酒焼けして言葉尻が掠れたのさえ。わたしは涙を流しているのも忘れて振り返った。隣のベッド、朝と夜の中間で、美しい女の人が首をかしげながらわたしを見ている。備え付けの寝間着からすらりと伸びる脚は光を受けて輝くように白く、彼女の豊かなは影の中でしっとりと波打っている。名残の夜の内側から彼女は、全身を暴かれたわたしを見ている。どうして彼女の脚は、光の中で白く輝いているのかしら。少しも霞んでしまわないのかしら。それどころか、影の中よりもむしろ光の中のほうがよけい白さを増して、透き通るようなその脚の表面に、張り巡らされた紫の血管や、三十六度五分の温度や、血液の巡りや送り出すポンプや、うっとりするような柔らかな脂肪、彼女の脚についてのすべてのものごとを語り尽くしているような気さえするのは。いまなら触れなくたって、わたしにはこの脚のすべてが、形の良い親指や、力を加えれば割れそうな踝や、ほっそりとした足首や、脹脛や太腿に付いたしなやかな肉のことも、なにもかもが分かる。
あまりにも美しく、わたしがこの人に比べてずいぶん惨めなので、思わず大粒の涙が溢れて乾きはじめていた頬を濡らした。これからこの美しい人に、わたしの何もかもを洗いざらい告白することが、堪らないほど恥ずかしい。だけど言葉は誰かに伝わりたいと、気が狂わんばかりに喉を叩いてる。わたしが伝えるとしたら、それは彼女をおいて他にいない。伝えてしまえば楽になれることをずっと辛抱できるほど、一途にはなれない。
「……愛してるの……」
多くの言葉が詰まった気管では、吐き出すことすらままならない。喘ぐように吸い込んだ少量の空気は凝集した言葉の隙間を縫って肺に流れ込み、最初の言葉をようやく押し出した。わたしは大声で泣いていた。
目の前の美しい人は自分のベッドから降りて、わたしのベッドに腰掛け、やさしく背中を撫ぜていた。触れた掌の温かさに、鼓動に、彼女がわたしのいる光の中へ来てくれたという寛大な愛の行為に。光の中で見た彼女の髪は、さっき見たよりもずっと傷んでいて、緩やかに波打っていると見えたのも、どうやら寝癖をそう勘違いしたものらしかった。明るい光の中で間近に見た彼女の脚は、けして先ほどのように眩しく輝いてはおらず、生活とともに老廃物を吐き出す、ただの人間の脚になった。ああ、でも確かに美しかったのよ。見蕩れるほど、妬けるほど。わたしは失われてしまったあの美しさを想って泣き、あの美しさを暴き立てて晒し上げた、光を呪って泣いた。
美しかった人に縋り付いて喚いて、彼女は何も言わないで、辛抱づよくわたしを抱き締めていた。想いが言葉に成るプロセスを飛び越えて喉から迸り出る。心の琴線がいまにも切れそうなほど張りつめて、激しく震え、それがあんまり苦痛なので全身が悲鳴を上げているみたいだった。がなりたてるような心臓の鼓動に頭がくらくらして、痛いほどの息苦しさも止まず、どこか冷静にそんなことを観察している自分もいるのに、昂った感情は豪雨のように降り注いで、海に落ちて渦に揉まれながら、手を伸ばして。永遠に続くかと思われたくらい、発狂してしまうんじゃないかと思うくらい、激しい感情だった。
……それでも、いつかは止むのね。と、激情の余韻にがんがん痛む頭で考えている。傍にはティッシュの山が盛られていて、隣の彼女が根気づよくわたしの面倒を見てくれたことがわかる。わたしはずいぶん酷い有様で、わたしの寝間着だけじゃなく、彼女の寝間着も汚してしまっていた。
「……ごめんなさ、……」
鼻がすっかり詰まってしまって、声がうまく出ない。ひどい鼻声だし、みっともない。彼女の寝間着まで汚しておいて。情けなさにまた表情が崩れそうになったところで、唐突に笑いながら彼女がわたしの鼻を摘んだ。動揺して、汚いから、と叫んだつもりでくぐもった声にしかならなかった。
「顔を洗って、着替えたほうがいいわ。あんたはもちろん、あたしも寝起きじゃ酷い有様だもの」
もしまだ泣き足りないのなら、もう少しこの格好のほうがいいけどね。と彼女は冗談めかして片目を閉じた。ああなんという憐れみかしら。この人の心のほんとうに美しくて、なんと愛に溢れていること。
寝間着を備え付けの籠に放り込み、仕度を終えて顔を洗ったら、さっき泣き腫らしていたのが嘘みたいなほど、頬が乾燥していた。一滴の水分も残らず搾り取られた、砂漠みたいだったけれど、いまはかえってこのほうがいい。洗面所を出ると、彼女は経済新聞を読んでいた。きちんと身仕度をした彼女はいつもどおりにきれいだと思う。
「朝ご飯、ルームサービス頼んじゃったけど、食べれる?」
彼女は新聞に目を落としたまま、ひとりごとみたいに言った。少しなら、と答えた。じっさい泣いた後って食欲は起こらない。残ったらあたしが食べるからいいわ、と彼女は答えた。
「さっきから、お腹がすいてしょうがなかったんだ」
さっきって、いつからだろう。気になったけど訊けなかった。まさかわたしを慰めながら、空腹を耐え忍んでいたとかじゃないわよね? 思いはしたけれど、例えそうだってたぶん、わたしが腹を立てることはなかっただろうし、そのために余計彼女を好きになったかもしれない。それは空腹を耐え忍んでまで慰めたから、というためじゃなく、空腹を抱えた彼女はひょっとすると、わたしを慰めながらブランチの想像をしていたかもしれないからだ。好きな人が、わたしのために何かを我慢するのは、単純に悲しいし、ほんとうに優しさから出た行為だとしても、恩着せがましさと紙一重じゃない? 好きな人の優しさを疑いたくない。好きな人の優しさは優しさとして受け止めたいの。だからわたしの感傷を、自分のことのように深刻に受け止めないでほしいの。わたしだって泣きたいときはあるけれど、そのために好きな人たちを悲しませたくなんてないんだから。
L字型の花柄のソファの上で、彼女は黙々と経済新聞を読んで、わたしは持って来た小説を読んだ。それは現代文学で、誰もが耳にするような有名作家の著作の文庫版。彼はわたしが好む作品よりもより大衆的なもの——度肝を抜くトリックのミステリーだとか、両親の敵への壮絶な復讐物語だとか——を好み、特にトーマス・マンを読むような男が主人公に据えられている小説なんて毛嫌いしていた。わたしが読む本の表紙を目にするたび、彼は辟易してみせた。一度だけ、彼になぜ嫌いなのかを訊いてみたことがあったけれど、小難しいこと考えたって何も面白くねえし暗くなるだけだ、そんなことに時間をつぶすんだったら、我を忘れてのめり込めるようなハードボイルドやミステリー、週刊誌のほうがよっぽどいいし有意義だ、というのだった。そして最後にぽつりと、そんなもんに取り憑かれるのは彼奴だけで十分だ、と呟いて、顔を歪め、黙り込んでしまった。結局、彼と暮らしていても、わたしは文学を読むのを止めなかったし、彼はミステリーや週刊誌を読みつづけていた、そういうことなのよ。今更歩み寄るにはあまりにもわたしたちは、成熟しきってしまっていたというわけ。
ルームサービスが届いて、わたしは一頁しか読み進めていない本に栞を挟み、ソファに置いた。食事は思っていたよりもずっと豪勢で、これまでかというくらいの厚さの卵とハムのサンドイッチや、馬鈴薯の冷製のスープや、小海老の散りばめられたたっぷりのサラダ、バターを添えた熱々のパンケーキや、おまけに厚切りのロースト・ビーフまでついてきた。運んで来たスタッフが一礼して去ってしまうと、唖然としているわたしを他所に、早速彼女は手近にあったパンケーキの皿を引き寄せてナイフとフォークを取り、食べないの? という目つきでこっちをじっと見てきた。いくらなんでも多すぎないかしらと思ったけれど、口にする元気はなくて、わたしもコーヒーに口をつけた。苦くて、思わず顔を顰めると、無理しないで、砂糖もミルクもあるんだからと言って、彼女がころころ笑った。まだ腫れぼったい瞼を伏せて、わたしは砂糖とミルクを入れた。砂糖だけでもミルクだけでもいけない。子供舌だとわたしを笑った彼も、砂糖だけは入れる性質で、ときどき砂糖なしに挑戦しては変な顔をしていた。
「わたし、砂糖だけのコーヒー、飲めるようになりたかったんですけどね」
思わずぽつりと口をついて出た言葉に、彼女は口に運びかけていた一口大のパンケーキを、フォークごと皿の上におろし、少し迷ったような間があってから、再びフォークを持ち上げてパンケーキを口に入れた。ゆっくりと咀嚼し、すっかり飲み込んでしまってから一息ついて、言った。
「あんた、かわいいわ」
どう応えていいかわからずに、わたしもサンドイッチをコーヒーで流し込んだ。間もなく彼女は、先ほどの会話なんてなかったふうに、今日読んだ経済新聞の内容を話しはじめた。
朝食を終えて、食器類を片付けてしまったあとに、わたしたち二人はバルコニーに出た。丸テーブルと二脚のプラスチックの椅子が据え付けられてあって、日よけもあり、ひなたぼっこにはちょうどいい。わたしと彼女は椅子に座って、遠目に見える山岳と岬、そして海を眺めた。わたしたちは、お互いに口を綴じていた。
わたしは、彼女がわたしを待っているのだという気がした。それは決して不快ではなかった。彼女はどこかしら気ままで、わたしが今日喋ろうと喋るまいと、どっちでもいいというような顔をしていた。そして、わたしもわたし自身を待っていた。最初の一言がやってきて、口からぽろりと零れ落ちるのを。海風と、海鳥の声、弧を描くような砂浜と、打ち寄せる波の高さの中から、わたしは目を細め、最初の言葉を見極めようとしていた。その瞬間は、思いがけず突然に、わたし自身すら捉えられなかったほどさりげなく訪れた。
「いつのことだったのか、もう、よく思い出せないんです」
わたしはそんなふうに話し出していた。彼女もたぶん、すぐには気付けなかったのだろう。彼女は少し遅れ、ゆっくりとわたしのほうに視線を向けた。
「……聞いてくれますか? ブルーさん」
彼女は少し間を置いて、いいよ、と待ち受けるように微笑んだ。